ごあいさつ
このたびは、三野原明音の長編小説「残の海人」の公式ホームページをご訪問いただき誠にありがとうございます。
「残の海人」は、福岡市の博多湾に浮かぶ能古島を舞台とした小説です。
能古島といえば、皆さんはまず、何を思い浮かべるでしょうか?
小さい頃、親に連れられて行った「のこのしまアイランドパーク」?
それとも、学生時代に友人たちと日が暮れるまで遊んだ海水浴場?
市内からフェリーでわずか十分。
降りた途端に「時の流れが変わる」という人さえいます。
この島は、四季を通じて花や緑に溢れ、いまだ手つかずの自然が残り、山に、海に、スポーツに、と、ながらく私たちを惹きつけてきました。
が、しかし。
私はあえて、能古島の魅力は、まだまだそんなものではない、と申し上げたいのです。
たとえば、この島を歴史という切り口で見てみましょう。
皆さんは、能古島が、女真族(のちに中国の清の国をつくった民族。満州族とも)、モンゴル民族、と、二度にわたって外国人に侵略され、占領されたことをご存知でしょうか?
また、天智二(六六三)年、白村江の戦いにおいて唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷が、外国の侵攻を恐れて置いた「防人(さきもり)」がこの島の北端にいたことをご存知でしょうか。
いかがでしょう?
歴史だけ取り上げても、こうなのです。
能古島は、これ以外にも、いまだ知られざる絶景、歴史的遺構や文化的な遺産など、数え切れないほどの観光スポットに恵まれていますが、その多くは忘れ去られ、人々に知られることもなく眠っています。
さて、話は変わり、令和二年二月。
あのダイヤモンド・プリンセス号にて新型コロナの患者が発見されて以来、私たちの日常生活は大きな制約を受け、瞬く間に街から人が消え、語らいが消え、マスクで互いの笑顔さえ見ることも出来ない日々が続きました。
そんな中、あれは、何回目かの緊急事態宣言を安倍首相が出されたときだったと思います。
ふとテレビを見ると、そこには死に絶えたような世界の町並みが映し出されていました。
英国、イタリア、スペイン… 人が映り込むこともない、まるでポストカードのように不気味なまでに美しい街角。
それに見入るうちに、私の心になぜか、ふと、こんな思いが湧いたのです。
「そうだ! 能古島を舞台にした小説を書こう!」
なぜそう思ったのか、理由は分かりません。
しかし、その日から、私は、コロナで夜の予定が入らないのをいいことに、島に関する資料を集め始めました。
そして、いよいよ小説のあらすじを固めようとしていた矢先、友人である大和容子さんから、「自宅の蔵が崩壊の危機に瀕している」という報を受けたのです。
ご存知ないかもしれませんが、大和家といえば、福岡県の中西部にあたる飯塚市花瀬で、江戸時代、ながらく地方自治に大庄屋として身を捧げてきた一族。
その蔵にあった九千点におよぶ「花瀬文書」が小郡市の九州歴史資料館に収蔵され、自宅の庭をあの、茶の湯で有名な、千利休が設計した、という言い伝えが残るほどの家の蔵が風前の灯だ、というではありませんか!
何とかしなければ…一人でも多くの人にこのことを知っていただきたい…
私は、小説の主人公を「大和慎治」と名付け、大和家の蔵を冒頭に登場させることにいたしました。
その後、月日はたち、コロナ禍の三年を経て、令和六年、奇しくも蒙古襲来七百五十年を迎える夏に、小説「残の海人」は完成しました。
未だ知られざる能古島の歴史と埋もれた大和家の歴史をつないだ本作。
冒険あり、サスペンスあり、恋愛あり…
物語の舞台は、飯塚の花瀬、能古島、モンゴルのウランバートル、と大きなスケールの中で展開いたします。
「最近、能古島に行ってないなぁ」とか、「今度の週末、満開の花を見に行こう!」など、友人やご家族で計画されている方がもしいらっしゃったら、この作品を読むことで、また違った島の世界に浸れること請け合いです。
ぜひ、ご一読ください。
いつか遠くない日に、皆様方からの感想をお寄せいただけることを楽しみにしております。
令和六年八月三十日
三野原明音